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[特装版]神迎え -隠岐島・焼火神社
¥198,000
予約商品
「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というコンセプトのもとに制作。 水野竜生の墨絵と神楽歌をもとにした稲垣麻由美の文、辰巳紫瑛の書で表現しました。 絵は西田和紙工房(島根県浜田市)の7代目・西田誠吉氏による手漉き天日干・石州和紙に印刷しています。 ーーー 《製品概要》 縦 350mm × 横 230mm× 高さ 25 mm カバー:くるみ表紙・水切りした石州楮紙を全面貼り 本文:蛇腹折製本 22 頁 原画:石州楮紙・岩絵具 朱・墨 画:石州楮紙貼り 書・紋:黒箔押し 文:シルク印刷 和紙糸:石州楮紙 茜染め 箱:桐製 包み:紋付きちりめん風呂敷 英訳入り ーーー [梱包内容] ■[特装版]神迎え -隠岐島・焼火神社 1冊 ■ 専用桐箱 特注の桐箱に納めてお届けします。桐は湿度が高くなると膨張し、気密性を高めて内部へ湿気が侵入することを防ぎ、乾燥時には収縮して自身の水分を放出する特性を持ちます。永く美しい状態で保管いただけます。 明治元年創業、箱義桐箱店製です。 ■ 水野竜生 原画 1点 石州板干和紙に朱と墨で神楽を舞う社家を描いた作品です。 左手に幣、右手に鈴を持って舞う幣舞。その年に生まれた赤児を抱いて舞う巫女の姿。アップテンポな囃子にあわせ登場する猿田彦、戦の神である建雷之神・・・。 50点全て絵柄が異なります。シリアルナンバー付き。 ■ 紋入り風呂敷包み 京都・与謝野町の山藤(やまとう)に別注した、紋付きちりめん風呂敷に包んでお届け。 ■ リーフレット 1冊 神迎えについての解説やプロジェクトメンバーのメッセージが添えられたリーフレット。 制作の背景をより深く知ることのできる一冊です。 ・・・・・・・・・・・・・ 〈制作の背景〉 「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というコンセプトのもとに制作。 記念すべき第一号は、島根県隠岐諸島・西ノ島にある焼火神社が舞台です。 2022年7月23日の例大祭で奉納された「隠岐島前神楽(おきどうぜんかぐら)」 の世界をここに奏でてみました。 華やかでリズミカルな太鼓や鉦の音、神様と人間が戯れ遊ぶ幽玄なときを 感じていただけましたら幸いです。 連綿と謡い継がれてきた神楽歌をもとに、物語は綴られています。 こちらの特装版は、制作メンバーの思いが強く宿っており、一切の妥協なく、 作り上げました。 水野竜生の水墨画を西田和紙工房7代目・西田誠吉による手漉き天日干・ 石州楮紙(稀)に印刷。 最終ページには、その石州紙に水野が朱を塗り、神楽を舞う社家を墨で描いた 原画(絵柄は50点全て異なります)も最終ページにおさめました。 ちなみに、その原画も1点1点、石州楮紙から作った茜染の和紙糸を使用し、 手作業で留めています。 神楽歌をもとに綴った稲垣麻由美の文は黒のスクリーン印刷。 辰巳紫瑛の書と裏面の紋は黒箔押し。 和紙の強靭さとしなやかさを体感していただけるように設計した製本は 全て手作業で仕上げております。 特に、カバーは石州楮紙をくるみ表紙という仕様で全面に手張りしています。 なおかつ、その楮紙の一部に、毛筆に水を含ませ走らせることで、やわらかくなった 部分を人の出て優しく裂くという伝統技法(水切り)で、一筋の光が宿ったような線、 鳥居のようにも見える演出をしています。 最新の印刷技術と伝統工芸が融合したアートブックです。 なお、江戸時代から続く箱義桐箱店に特注した桐箱に納め 京都の山藤さんにお願いした、紋付きちりめん風呂敷に包んでお届けします。 【特別監修:焼火神社 第21代 松浦道仁宮司】 神楽も祭りもそうですが、どうも神様は日常には社に常駐していない体をとっています。 というのは、神社において祭りは年に何回か繰り返されのでその時に降臨するからです。 神社で恒例の祭りを恒例祭と呼び、それ以外を臨時祭と呼びます。 また、神楽はそういう意味では常に臨時祭でした。 臨時祭はそんなに珍しいものではなく、地鎮祭とか竣工式など ある意味よく見かける行事でもあります。 その時、降臨する場所は注連縄で結界し、場を清めてから神様をお迎えします。 そういう意味では臨時祭が神社では最も原初的形態を表していると思われます。 それを解りやすくドラマティック音と舞で演出するのが神楽です。 ただ原則はそうだとしても、場所により、時代により表現方法には千差万別あり、 それが洗練された結果、各地方の神楽文化として今ここに定着しています。 【隠岐島前神楽(おきどうぜんがくら)】 左手に榊、右手に扇を持った男性が面をつけずに一人で舞う『神途舞』。 神楽歌には「幣の立っているこの場所も高天原(たかまがはら)であるので、 集まりなさい 四方の神々」とあります。 舞うことでその場を払い清め、共に神を招くのです。 そして、猿田彦大神が天孫を迎える演目あたりから、奏楽が少しずつ早拍子になり、 場の空気が大きく変わっていきます。 白面の善神と黒面の邪神が戦うという勧善懲悪ものの「随神」は動きも激しく、 邪神が退散される場面では自然と笑いと拍手が湧き、 「舞い児(まいこ)」と呼ばれる巫女舞では、その年に生まれた1歳未満の あかちゃんを巫女(神子)が抱いて舞います。 新しい命が健やかに成長しますようにと願う舞は、神の威徳を得て より濃密な時空を生んでいました。 隠岐島前神楽の最大の特徴は鉦や締太鼓が刻む4分の3拍子のアップテンポなリズムです。 「ヤハー ヤハー ヤハハー」と繰り返されるお囃子に包まれるうち、 お迎えした神様、舞う者、見る者のあわいが溶けていく様子を水野竜生が描いています。 現在、隠岐島前神楽は島前神楽保存会として島前各地の有志が集まり伝承しています。 昭和40年頃までは保存会組織ではなく、社家(しゃけ)と呼ばれる神楽を 専業とする特別な家系により、家伝秘伝として継承されていました。 現在も石塚家が1軒のみ残っています。 Kagura” is a type of Shinto ritual ceremonial dance. The term is a contraction of the phrase “Kami no Kura” ("seat of god"), indicating the presence of gods (kami) in the practice. As darkness falls in the cedar grove of Takuhi-jinja Shrine, drums and songs praising the gods can be heard. The story starts from here. People dancing and playing together, with a sense of the divine around them, looks truly joyful and seems to be the true expression of the spirituality within us. The biggest event at the Takuhi-jinja Shrine, "Reitaisai" (the Annual Festival), is held every two years. We invite you to enter the world of "Oki Dozen Kagura", which is performed here. Takuhi-jinja Shrine is located halfway up Takuhi-Yama mountain, the highest mountain in Nishinojima, Oki County, Shimane Prefecture, Japan. It was built between the end of the 10th and the beginning of the 11th century. It is believed that the shrine was founded one New Year's Eve when three sparks flew out of the sea and entered between the rocks where the present shrine building is located. Even today, people pray to the god of the Takuhi-jinja shrine to bring them to safety when the sea rages. The god of the Takuhi-jinja shrine is revered as the guardian of maritime safety. This historical shrine was the subject of a waka poem by the 12th-century Emperor Go-Toba. Furthermore, it is also famous for being portrayed in Ukiyo-e paintings by Hiroshige and Hokusai
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[書林版]神迎え -隠岐島・焼火神社
¥5,500
予約商品
「日本の神様の物語を、日本の紙に綴る、描く」というコンセプトのもとに制作。 水野竜生の水墨画と神楽歌をもとにした稲垣麻由美の文、辰巳紫瑛の書で表現しました。 書林とは、書物がたくさんあるところ。すなわち、書店・書房を意味します。 「特装版」に対して、多くの方に届くように、という願いも、この「書林」の2字に込めています。 掌にのるサイズで、表紙は手漉き和紙、本文は鳥の子和紙を使用。 両面楽しんでいただけるようになっており、片面が日本語、反対面は英語版となっています。また、水野竜生先生の絵は「特装版」とは趣の違うものになっています。 ーーー サイズ:縦180mm × 横72mm × 高さ7mm 表紙:石州楮紙貼 本文:蛇腹折製本 22頁 用紙:新鳥の子 白 〈『書林版』の特長〉 ・両面に異なる画柄を印刷 ・特装版と同様の画に日本語表記 ・書林版限定の画に英訳を表記 ーーー [梱包内容] ■[書林版]神迎え -隠岐島・焼火神社 1冊 ■ リーフレット 1冊 神迎えについての解説やプロジェクトメンバーのメッセージが添えられたリーフレット。 制作の背景をより深く知ることのできる一冊です。 ・・・・・・・・・・・・・ 〈制作の背景〉 「書林」とは、書物がたくさんあるところ。すなわち、書店・書房を意味します。 あまねく皆さまの手に渡ることを願って「書林版」と名づけました。 表紙に使用したのは、特装版と同じ、石州楮紙板干です。 掌におさまるつくりとし、和紙のあたたかみを感じながら 愉しんでいただけますと幸いです。 繰り返し、掌の上で広げ、読んでいただく中で、 自然と人の手だけで作り上げた紙ならではの、触り心地のよさ だけでなく、1000年持つといわれている強靭さも体感して いただきたく存じております。 なお、文章は特装版と同じで、連綿と歌い継がれてきた「神楽歌」を軸に、 神楽が始まる夕暮れの情景から、神様を迎え、舞人とその場にいた人たちが 一体となって戯れ過ごすひとときを綴ったものです。 ただ、書林版の最も大きな特徴は、両面展開となっており、 表面(日本語版)と裏面(英語版)の絵の趣が大きく違ところです。 表面の方は、焼火神社に向かう参道(焼火山の登山等ともいえます) に生える植物画からスタートし、水墨の濃淡の妙から生まれる幽玄の世界へと 誘うものとなっていますが、裏面は、少しコケティッシュに舞人と神々の跳梁 を描いており、楽しげな様子が伝わるものでございます。 両面の対比から、アーティスト・水野竜生の才を強く感じる 実に面白い作品となりました。 ぜひ、実際に手に取ってご覧くださいませ。 【焼火神社】(島根県 隠岐諸島・西ノ島) 創建は平安時代、一条天皇の頃。 後鳥羽上皇ともゆかりが深く、長い歴史を持ちます。 また、隠岐島は北前船の要所でしたから、 焼火山頂(海抜452m)近くにある焼火神社は海上安全の神として崇められ、 遠くは三陸海岸に至るまで、広く人々の信仰を集めてきました。 さて、この『神迎え』は2022年7月23日に4年ぶりに開催された例大祭で 奉納された「隠岐島前神楽」の一夜を描いたものです。 神楽とは神の居ます座である「神座(かみくら)」がつづまってできた語。 この夜も、焼火神社の杉木立に暗い闇が漂うころ、閑寂な社に太鼓の音が響き、 闇が高天原と豊葦原のあわいにとけていくように、特別な扉が開かれたれたのです。 社殿にて宮司が神を迎える準備を進め、地域の長老が玉串奉奠(たまぐしほうてん)を。 その後、社務所に設けられた斎場に移動してお神楽が始まります。 最初は、左手に榊、右手に扇を持った男性が面をつけずに一人で舞う「神途舞(かんどまい)」。 神楽歌には「幣の立っているこの場所も高天原(たかまがはら)であるので、 集まりなさい四方の神々」とあります。 舞うことでその場を払い清め、共に神を招くのです。 そして、猿田彦大神が天孫を迎える演目あたりから、奏楽が少しずつ早拍子になり、 4分の3拍子のリズムを刻んで場の空気がどんどん変わっていきます。 特に「随神(ずいしん)」という演目(番組)は、白面の善神と黒面の邪神が 戦うという勧善懲悪もので、舞の動きも激しく、邪神が退散される場面では 会場から拍手と笑いが自然と生まれます。 また、隠岐島前神楽の最大の特徴は、大太鼓、締太鼓、手平鉦で奏でる 4分の3拍子のアップテンポな独特のリズムです。 その明るい音とリズムに身を任せ、「ヤハー ヤハー ヤハハー」と 繰り返されるお囃子に包まれるうちに次第に自分というものがなくなり、 その場にいる人と神様と一緒に過ごしているような、不思議な感覚となっていきます。 また「舞い児(まいこ)」と呼ばれる巫女舞では、 その年に生まれた1歳未満のあかちゃんを巫女(神子)抱いて舞います。 新しい命が健やかに成長しますようにと願う舞は、神の威徳を得て より濃密な時空を生んでいました。 現在、隠岐島前神楽は島前神楽保存会として島前各地の有志が 集まってこの神楽を伝承しています。 昭和40年ごろまでは保存会組織ではなく、5軒あった社家(シャケ) と呼ばれる神楽を生業とするいわばプロ集団のみで伝えられていました。 現在も石塚家が1軒のみ残っています。 四方から神々を迎え、神と人がともに舞い遊ぶひとときは、 実に愉しく、我々の中にある霊性が本来の姿で発露しているようにも思えます。 Kagura” is a type of Shinto ritual ceremonial dance. The term is a contraction of the phrase “Kami no Kura” ("seat of god"), indicating the presence of gods (kami) in the practice. As darkness falls in the cedar grove of Takuhi-jinja Shrine, drums and songs praising the gods can be heard. The story starts from here. People dancing and playing together, with a sense of the divine around them, looks truly joyful and seems to be the true expression of the spirituality within us. The biggest event at the Takuhi-jinja Shrine, "Reitaisai" (the Annual Festival), is held every two years. We invite you to enter the world of "Oki Dozen Kagura", which is performed here. Takuhi-jinja Shrine is located halfway up Takuhi-Yama mountain, the highest mountain in Nishinojima, Oki County, Shimane Prefecture, Japan. It was built between the end of the 10th and the beginning of the 11th century. It is believed that the shrine was founded one New Year's Eve when three sparks flew out of the sea and entered between the rocks where the present shrine building is located. Even today, people pray to the god of the Takuhi-jinja shrine to bring them to safety when the sea rages. The god of the Takuhi-jinja shrine is revered as the guardian of maritime safety. This historical shrine was the subject of a waka poem by the 12th-century Emperor Go-Toba. Furthermore, it is also famous for being portrayed in Ukiyo-e paintings by Hiroshige and Hokusai